マインドフルネス研修会

 

二日間に渡る

聖路加国際病院主催のマインドフルネス研修会が終了しました。

 

フランスにあるティク・ナット・ハンのプラムヴィレッジから僧侶たちが、

その他アメリカ、タイ、香港などから医師、臨床心理士が集まり

講義と実践盛りだくさんの濃ゆ〜い2日間でした。

(ティク・ナット・ハン知らない人はググってね☆)

 

 

臨床現場でのマインドフルネス的アプローチ。

 

医師と患者だけでなく、様々なケースで応用できそうです!

これを学ぶことができて私はとてもラッキーでした。

 

 

それから、このプログラムの中では

仏教としてのマインドフルネスが実践されていたことに

大きな意味がある!と私は感じます。

 

いわゆるマインドフルネスとは、

(ブッダの説いた「いま・ここ」の教え)が元にはなっているが

そこから仏教的要素を取り除いたメソッドであるということ。

(アメリカという多民族・多宗教の国で構築されたものなので。)

 

最近マインドフルネスが注目を集める一方で

「ビジネスパフォーマンスを上げるため」や「幸せになるため」など

目的設定をするような紹介のされ方をすることがあります。

でもマインドフルネスとは行為の目的を手放す無為」が基本です。

その結果として、パフォーマンスが上がったり幸福感が増したりするのですが

それはオマケみたいなものなんです。

 

 

研究者は結果を知っているので当然「こうなります」と提示をするし

自分に利益があると思うからこそ、実践する気になるものです。

 

でも答えを示されると、悲しいかなそこを目指そうとしてしまうのが人の性。

 

目指そうとした途端に「無為」は「有為」に早変わり!

 

ましてその結果が得られなかった時には、幸せどころか苦しみがやってきます。

 

 

これがマインドフルネスの落とし穴なのです・・・

 

結果を求めて実践してもマインドフルにはなれない。

 

というか

 

結果を求めて実践する時、

それはマインドフルネスではない。

 

 

マインドフルになるということは結果を手放すことなんです。

 

 

 

私も最初の頃ジョン・カバットジンのMBSRなど勉強して違和感を感じていました。

 

そしてその突破口を見出したのは道元禅師只管打坐。

(道元禅師、知らない人はググってね☆)

 

は、目的行為の中で目的を手放すということを説きます。

 

そのから派生したマインドフルネスですから、

 

やっぱり仏教(ブッダという人が教えてくれたこと)のエッセンスなしには語れない!

 

と、私は思うのです。

 

 

 

 

そういう意味で、本来のやり方を実践しているマインドフルネス

すなわち仏教色の残ったマインドフルネスを、

ティク・ナット・ハンの弟子たちと共に実践することができたこと。

とても嬉しく、ありがたく感じています。

 

 

そしてこの学びを、今後も多くの人にシェアしていけたらと思います。

 

ヨガのクラスは、毎回毎回、つたないインストラクションですが

 

どうぞみなさんの生きるヒントにしていただければ幸いです*^^*