修行したい時は修行するべからず

突然ですが

 

「修行」好きな人って結構いると思います。笑

 

ヨガでもスポーツでも仕事でも

 

ツライ環境に敢えて身をおくことで、

 

自分の快適ゾーンを超えた「エッジ」に立つことで、

 

従来の自分の枠から一歩出ることができる。

 

私も以前、出家して修行がしたいと本気で考えてた時期がありました。

 

修行すれば自分を高められる。

 

そう思ってました。

 

 

 

でも、最近思うんです。

 

「自分が望む修行」は、どんな辛いことでも「修行」にならないって・・・。

 

なぜなら、その修行は自分が望むところの範囲内にあって

 

体は快適ではないにしても、精神的には快適ゾーンから出ていないような気がするんです。

 

 

そういう意味では、

 

私たちが選択できなかった(できない)ことや

 

望まなかった(ない)ことこそが

 

真に人を育てる「修行」なのではないかと。

 

 

 

世界は、お天気一つを取っても自分が選択できないことばかりです。

 

家族、環境、体質、人の気持ち。

 

出家しなくても、滝に打たれたりしなくても、

 

「選択できないことと向き合うこと」

 

つまり「自分が自分としてこの人生を生きるということ」こそが

 

一番の修行なのかもしれない。と思うようになりました。

 

 

 

 

最後に一つ。

 

「修行したい」という思いの根っこには、

 

「今のままではいけない」

 

という思いがあったりします。

 

過去の私がそうでしたが、

 

いまここの自分に満足できない時、修行は執着の対象にしかなりません。

 

そしてそれは永遠に終わりません。

 

 

 

 

苦行の必要がないくらい、

 

いつの瞬間も、全ての命はカンペキ✨です。

 

もし修行や苦行で何かを解決しようと思う人がいたら

 

このことを、どうぞお忘れなく!!